大韓民国演劇祭in大邱(学生演劇の交流)
大韓民国演劇祭in大邱に京都から劇団が出演!
韓国内16都市からプロからアマチュアまで多くの劇団や大道芸も参加する「大韓民国演劇祭」が,2017年6月2日~20日にかけて大邱広域市で開催されました。大邱広域市は,韓国でも有数の「公演文化都市」。韓国有数のオペラハウスがあり,国楽(伝統的な舞踊)から演劇,オペラ・ミュージカルまで,多くの舞台芸術の公演が市内各所で行われており,韓国全土から観客が訪れます。
今回,東アジア文化都市2017の交流事業として,大邱広域市からの招きを受けて,「全国学生演劇祭」で優秀な成績を収めた京都の劇団[劇団西一風・幻灯劇場(立命館大学),劇団なかゆび(同志社大学)]が,演劇祭での公演と大邱広域市で演劇を学ぶ学生との交流プログラムに参加しました。
満員の観客に感動の渦が巻き起こる
会場の鳳山文化芸術会館ラオンホールは大邱広域市の中心部にある客席数90席の小劇場。ここを舞台に6月15日,16日の2日間にわたって各劇団が2公演を実施しました。短い滞在期間に本番までの準備や調整を行わなければならず,日本との慣習や設備の違いに苦労しながら本番を迎えました。
公演は若者を中心に各回とも多くの方に御来場いただきました。韓国と日本の演劇文化の違い,言葉の問題(字幕は用意したが・・)などいろいろな不安はありましたが,各劇団の個性的で独創的な舞台に,そして各劇団の力の限りを尽くした熱のこもった演技に会場から盛大な拍手と惜しみない賞賛が送られました。
特に,深遠で哲学的な内容を含む完成度の高い作品を,すべて学生が脚本,演出,制作を行っている点に多くの驚きと感動を持って受け止められました。上演後の観客との対話では,作品に込められた意図や,発想のきっかけなど熱心な質問が寄せられ,関心の高さを感じることができました。この模様は地元のメディアでも大きく取り上げられ,「演劇の真髄を披露し大盛況であったと」高い評価を受けました。
演劇が結ぶ日本と韓国の未来
今回のプログラムでは,大邱外国語大学通翻訳学科の学生が通訳を務め,多くの演劇関係者を排出している啓明大学劇芸術研究会の学生による舞台の鑑賞や,交流会も開催されました。日韓の若者,同じ演劇に取り組む学生同士で,言葉の違いはあっても,彼らはすぐに打ち解け,会場は大いに盛り上がりました。
今回の演劇祭を主催した大邱演劇協会からも,次回以降の演劇祭への招へいの可能性が打診されるなど,今後の継続的な交流につながる大きな成果がありました。文化が様々な違いを超えて感動と共感を広げる大きな力を実感しました。
■第2回大韓民国演劇祭in大邱参加団体の概要及び上演作品
⑴ 劇団西一風(しゃいっぷう)(立命館大学)
1985年設立。立命館大学を拠点に活動を行う。内的爆発(パワー)身体的速度(スピード)独創性(オリジナル)を活動指針に掲げ,京都で独自の表現を模索している。2012,2014年京都学生演劇祭大賞受賞。2017年,第二回全国学生演劇祭において「PINTPH™」が審査員賞を受賞。
上演作品:「PINTPH™」(ピントフ) 質量の持たない像が水蒸気のように浮かび上がり消えていく。その非生産的な風景の中に消費的イリュージョンを目撃する。とある単純作業を行う工場の風景から人間の労働観を描いた作品。
⑵ 幻灯劇場(立命館大学)
2013年に藤井颯太郎を中心に旗揚げ。写真家,俳優,コンテンポラリーダンサーや映像作家など,ジャンルを超えたパフォーマーが集まる舞台芸術集団。「祈り」と「遊び」をテーマに創作を行い,「誰にでも分かる前衛芸術」を目指す。日本国内だけでなく,フランスのダンサー,俳優と作品を作るなど,国外でも意欲的に作品を発表し続けている。主な受賞歴としては,2016年度京都学生演劇祭大賞受賞,2016年度大阪短編学生演劇祭観客賞(1位)受賞など。「ミルユメコリオ」で第四回せんだい短編戯曲賞大賞を史上最年少受賞。
上演作品:「56db ゴジュウロクデシベル」 『56dB以上の音が出ると頭上から箱が降ってくる』 シンプルなルールを守るため,人間関係がどんどん複雑になっていく!!観客は笑ってはいけないし,咳も,身じろぎも許されない。観客を巻き込む沈黙のサーカス。
⑶ 劇団なかゆび(同志社大学)
第三劇場(1954年創立)の神田真直を中心に2014年に結成。作品は独特かつ実験的で,劇場の<外>への訴えを常にはらむ。 学生劇団のあり方を根本から見つめ,学問的な視点を作品に組み込んでいる。戦争やテロリズムを題材とした政治演劇や,実験的な演劇にも取り組んでいる。全国学生演劇祭審査員賞を受賞。
上演作品:「断絶の詩人」(the poet of disruption) 青年は,川の向こう側にいる友に向かって呼びかける。返ってくるのは,音だけである。幼き頃の思い出は,少しずつ薄れていく。呼びかけはやがて詩となり,叫びとなる。その川は時代か,それとも国境か。コスモポリタンの理想と現実はあまりにかけ離れていた。