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京都のなかの朝鮮

このページでは、東アジアの相互理解につながる活動をされている方に、日々の取り組みやその活動にこめた想いについてコラムをご寄稿いただいています。
今回は、公益財団法人高麗美術館学芸員の金泰蓮(キム テリョン)さんです。
高麗美術館設立の経緯や、現在行われている展覧会についてご寄稿いただきました。

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 高麗美術館は上賀茂神社近くの住宅街に佇む小さな美術館です。1988年10月に、日本で唯一の朝鮮半島の美術専門である美術館・研究所として開館しました。竹林を通りすぎると、目の前に高麗時代の武人の石人が現れ、出迎えてくれます。門には司馬遼太郎氏揮毫の高麗美術館の陶板が。

 

高麗美術館 前景

高麗美術館 前景

 

 創設者である鄭詔文(チョン・ジョムン、1918~1989)は慶尚北道出身、鄭家は朝鮮王朝の両班(ヤンバン・貴族階級)の家系でした。日本統治下の1925年に七歳で両親と渡日し、京都の鷹峯で生活を始めます。貧困のため幼い頃より働き詰めだった鄭は、学校へ満足に通えず、また祖国の言葉や文化・歴史を学ぶことも出来ませんでした。しかし彼が37才の時、三条の店先に飾られた「李朝の白磁壺」に出会い、初めて自分の故郷にもこんな素晴らしいものがあったのかという驚きと、朝鮮の美への愛情を感じたといいます。そして、自分の無知と、学ぶことへの喜びが、後年の季刊雑誌『日本のなかの朝鮮文化』(朝鮮文化社、1969~1981年)出版と高麗美術館建設への強い原動力となりました。鄭は故郷の地から海を渡って来た白磁壺と、自分の運命を重ね合わせたのかもしれません。
 当時、まだ広く理解されていない朝鮮の文化や歴史を、自分の体験を通して多くの人に理解して欲しいという一人の在日の意思から始まった雑誌作りは、長い時間をかけて多くの日本人の有志と賛同と協力があって結実します。司馬遼太郎、林屋辰三郎、上田正昭、森浩一、末川秀樹、松本清張や岡本太郎をはじめ多くの知識人らによる座談会が行われ、また多くの参加者と日本全国の朝鮮文化ゆかりの遺跡を巡り、臨地講演を重ねて古代史からの日朝交流史が明らかにされました。それは当時、竹内好氏が「日本でいちばん革命的な雑誌」と語ったほど、画期的な取り組みでした。

 

雑誌「日本のなかの朝鮮文化」を励ます会(1973年 中央公論社ホール)にて 左から、鄭詔文、司馬遼太郎、上田正昭

雑誌「日本のなかの朝鮮文化」を励ます会(1973年 中央公論社ホール)にて
左から、鄭詔文、司馬遼太郎、上田正昭

 

 その内容は高麗美術館にある『日本のなかの朝鮮文化』に詳しいですが、京都のなかの朝鮮半島ゆかりの地についても多くが研究されました。古代においては、渡来系豪族である秦氏と広隆寺や稲荷大社、松尾大社とのつながり、清水寺と坂上田村麻呂、平野神社や高野新笠など、朝鮮半島や渡来人たちとのゆかりの豊かさを、京都のそこここに見ることができます。広隆寺の朝鮮赤松の弥勒菩薩と韓国の中央博物館の金銅製弥勒菩薩は瓜二つです。また祇園祭りの山鉾には朝鮮王朝時代の朝鮮綴りの織物が使われました。江戸時代には善隣友好の朝鮮通信使が国交回復に大きな役割を果たして、相国寺や大徳寺には当時の人々の文化交流の足跡が多く残ります。このように古代からの京都の姿を見ると、技術や文化が伝わるということは、モノばかりではなく人が行き交うという事実の大きさを実感します。
 高麗美術館の建設目的は、美術工芸品を通して朝鮮の歴史や文化、そしてそれを生み出した人たちの強さ、明るさや、同じように笑い泣き、美しいものに心打たれるというあたり前の姿を感じて欲しいという鄭の思いからだったと思います。所蔵品は考古学・美術史・民俗学・技術史などの体系に沿った視点から収集され、公開されました。その実現を見た4か月後、鄭は第二の故郷と愛した京都でその生涯を終えます。国と国の威信や権威からではなく、人々が互いの文化に接して、生み出した人々の生活や美意識を尊重し合える場所をこの京都の片隅に作る、という信念の一生でした。鄭詔文の遺志は多くの日本の人々にも支えられて、高麗美術館は来年30周年を迎えます。(2018年4月1日より30周年記念展を開催予定)
 京都のなかの朝鮮、その交流の美術館を見守る強く優しいまなざしの石人が、今日もみなさまをお迎えします。

 

鄭詔文氏

鄭詔文氏

 

 現在、当館では干支にちなんで「福を運ぶ朝鮮王朝のとりたち」展を開催中です。干支もそうですが、仏教や漢字文化など、中国、朝鮮、日本を含むアジアの文化の共通性や重層性と共に、改めて各国の伝播や波及にも独自性を感じました。
 上田正昭前館長は「国際」の視点とは異なる、民衆や自治体の交流である「民際」を重要視し、高麗美術館を「民際の美術館」と位置づけました。
 「東アジア文化都市2017京都」は、古代からひと・もの・情報移動の活発なグローバル都市・京都の「民際」の取り組みと言えるのではないでしょうか。継続して教育の場や日常生活で、現代の等身大の隣人同士で信頼関係を育んでいく事が大切だと思います。世界有数の観光都市としても、古代からの多様性と共生の記憶を掘り起こして、それを史蹟や寺社、観光施設で多くの国内観光者やインバウンドに掲示、紹介することは、東アジアの私たちの相互理解や地域振興に寄与すると期待しています。

 

鄭が出会った白磁壺

鄭が出会った白磁壺

 

高麗美術館展覧会「福を運ぶ朝鮮王朝のとりたち」 詳細はこちら

Profile

金泰蓮

金泰蓮

公益財団法人高麗美術館学芸員

2003年に京都国立近代美術館で開催された「―韓国国立中央博物館所蔵―日本近代美術展」が、朝鮮半島の美術・近代博物館の歴史研究を志す契機となる。子供の就学と同時に、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科に進学し、学芸員資格を取得。現在、美術館勤務のかたわら博士後期課程に在籍。同大学院太田修ゼミにて朝鮮半島の歴史・文化を研究。2017年に京都工芸繊維大学にて文化庁助成「大学ミュージアム所蔵資料を活用したアートマネージャー育成プログラム―高度学芸員の育成―」課程修了。 日本国内唯一である朝鮮半島専門の美術館と研究所を併設した高麗美術館にて、朝鮮半島の美術や文化・歴史の普及に務めている。開催中の『東アジア文化都市2017京都』、「福を運ぶ朝鮮王朝のとりたち」(12月5日(火)まで)の展示担当。
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