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京都にみる東アジアの足跡Ⅲ 伏見稲荷大社の信仰

このページでは、東アジアの相互理解につながる活動をされている方に、日々の取り組みやその活動にこめた想いについてコラムをご寄稿いただいています。
井上満郎(いのうえ みつお)先生のコラム、「京都にみる東アジアの足跡」の最後を飾るのは、「伏見稲荷大社」です。

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 「伊勢屋稲荷に犬の糞」が、江戸(東京)の名物だったといいます。伊勢屋は伊勢商人が江戸に進出して、あらそって故郷の名をとって伊勢屋を名乗ったものです。犬の糞はいうまでもありません。それくらい江戸時代の東京には稲荷神社があったのです。今全国の神社、これは数え方によって差が出ますが11,2万社くらいかと思いますが、そのうち稲荷はおよそ3万社といわれます。たくさんの稲荷を祀る神社が全国にあるのですが、その総本宮が京都の伏見稲荷大社です。

 神社はその成り立ちの分からないものが多いのですが、ここははっきりしていて、創立は和銅4年(711)です。創立者も分かっていて、それは秦中家(はたのなかついえ)という人でした。朝鮮半島(韓半島)からの渡来人なのです。神社とか神道とかいうと、私たちは日本列島に固有なものと考えがちですが、伏見稲荷大社はそうではなく、海外から渡来した人々によって築かれたものなのでした。

 

千本鳥居 (写真提供:京都市メディア支援センター)

千本鳥居
(写真提供:京都市メディア支援センター)

 

 では彼らが渡来して、半島からもたらした信仰をそのまま今の伏見稲荷大社として祀ったのでしょうか。そうではありません。三ヶ峰(みつがみね)と呼ばれる稲荷山の三つの峰では、早くから祭ごとが行なわれていました。ここでの信仰は秦氏渡来のはるか以前からあるのでして、そうした在来の信仰に彼らは自分たちの信仰を重ね合わせて、より新しい信仰を造りあげたのです。在来のそれを否定したり排除したりするのでなく、重層させたのでした。この「重層」という概念はたいへん重要で、お互いを認めあいながら東アジア社会がその歴史と文化を刻んできたことを如実に物語るものといってよいでしょう。多くの外国人にも親しまれているあの千本鳥居、その背後には東アジア世界の、豊かな交流があるのです。

 この稲荷の神への信仰は、のち実に多様な広がりをみせます。その姿はお塚に見ることができますが、1万にも達するといわれるお塚は火防大神(ひぶせおおかみ)・福徳大神(ふくとくおおかみ)などと、ひと目みれば何が祈願されているかすぐ分かる素朴なものがほとんどです。ごく庶民的な祈りと願いがそこには籠められているのでして、これらに東アジアの姿はたしかに見出すことはできませんが、出発の当初からの誰をもこばまないという稲荷の信仰の基底に、東アジア世界の豊かな交流の史実が存在すると私は思っています。

 

お塚の風景

お塚の風景

 

井上満郎先生のコラム「京都にみる東アジアの足跡Ⅰ 嵐山の風景」はこちら
「京都にみる東アジアの足跡Ⅱ 清水寺の創立」はこちら

Profile

井上満郎

井上満郎

京都市歴史資料館長

1940年、京都市生まれ。京都大学大学院修了。1982年に京都産業大学教授。2004 年から京都市歴史資料館長、2012 年から京都市埋蔵文化財研究所長を務める。著書に『研究史平安京』(吉川弘文館)、『平安時代軍事制度の研究』(同)、『京都・躍動する古代』(ミネルヴァ書房)、『渡来人』(リブロポート社)、『平安京再現』(河出書房)、『京都・よみがえる古代』(ミネルヴァ書房)、『平安京 の風景』(文英堂)、『古代の日本と渡来人』(明石書店)、『桓武天皇』(ミネルヴァ書房)、『秦河勝』(吉川弘文館)などがある。
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