古(いにしえ)から続く、絃の文化
このページでは、東アジアの相互理解につながる活動をされている方に、日々の取り組みやその活動にこめた想いについてコラムをご寄稿いただいています。
今日は、株式会社鳥羽屋 代表取締役社長の小篠敏之(おざさ としゆき)さんです。
鳥羽屋さんは楽器絃に携わり150年余り。琴や三味線、三線など邦楽器の絃(弦)を製造販売されています。
今回のコラムでは、楽器から東アジアとのつながりをみてみましょう。
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みなさんは三味線(三絃)や琴、箏、琵琶と聞けばどこの国の楽器だと思われますか。ともすれば日本固有の楽器だと思われるかもしれませんが、その多くが大陸から伝わった時の姿形を現代でも少なからず留めています。もちろん長い歴史の中でその様相や立ち位置、演奏方法などはさまざまに変化をしていますが「ルーツはどこに?」と聞かれれば「東アジア、もしくは大陸である」と答えることになるでしょう。

各種楽器絹絃(鳥羽屋製造)
<ルーツその1>は今から約1200年前、奈良時代後期(天平)にあります。朝鮮半島を経由して渡来したのが箏・琵琶です。<ルーツその2>は約400年前、室町時代後期(永禄年間)に中国福建省より琉球を経由し泉州堺の港に渡来した楽器にあり、それが三味線(三絃)のはじまりであると言われています。

平家琵琶(鳥羽屋所蔵)
これらの楽器の絃は、素材の革新こそあったかもしれませんが、製造法は楽器とともに日本に伝わった頃から、ほぼ変わらず現代にまで繋がっています。これには未だに驚きを感じるとともに、昔の大陸の人々の演奏文化への造詣の深さに頭が下がる思いを抱きます。

七絃琴(古琴)1758年製 鳥羽屋所蔵
ここに七絃琴(古琴)という琴があります。古くは宇津保物語や源氏物語に登場する伝統ある楽器ですが、一時は大陸でも日本でも演奏者が減っていました。この楽器も前述の楽器と同様に日本に伝来し、その絃は分かる範囲では江戸時代から変わらぬ製法で作ってきました。近年になり、日本を含む多くの東アジアのお客様から、弊社に伝わる七絃琴の絹絃にご期待いただくことが増え、まさしく文化としての復興の兆しと勢いを感じています。大陸から伝わった楽器や絃に関するさまざまな技術が、数百年の後の今、ここ京都で再び花開き、東アジアとの交流が広がっているという様に驚くとともに、そのルーツを思えば必然性をも感じています。

都の魁掲載図
(明治16年に発行された、当時の京の最優良店舗紹介(情報)誌)
古より伝わった多くの楽器とその絃は未だに革新と驚きに満ち溢れています。東アジアより日本に、そして京都に伝来し、縁あって携わらせていただくこの技術を通して京都と東アジアの理解がより深まり、相互に影響し発展しあえることを期待しています。そして発展への道程で微力ながらその一翼を担っていきたいと強く感じています。
Profile
小篠敏之
株式会社鳥羽屋 代表取締役社長