東アジアと京都のつながり
このページでは、東アジアの相互理解につながる活動をされている方に、日々の取り組みやその活動にこめた想いについてコラムをご寄稿いただいています。
第二回目は、龍谷ミュージアム館長の木田知生先生です。
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日中韓三国は濃密な関係で結ばれている。ともに東アジアに位置し、中国大陸とそれに続く朝鮮半島、さらに海を隔てて日本列島が連なる。「一衣帯水」の語が有るように、日本列島は中国大陸・朝鮮半島と海を隔てて位置するものの、渡海が極端に困難であったわけでもない。そのため、往昔より中国東方の海岸地域(華東地域)や朝鮮半島南部から日本列島に渡来する人々は少なからず、諸々の文化や習俗が交わり伝えられた。
これら三地域は単に地理的に近接しているということに止まらず、文化の諸相で共通項が多いのである。同じ漢字文化圏に在るのは云うまでもないが、文学史学や芸術文化の諸方面にわたって基層を同じくする分野が多い。特に宗教の基層面での関係は濃厚で、中でも仏教の教義と文化は、極めて濃密な伝播交流関係にあったと言える。
インド北部で誕生した仏教の教えは、その後、幾多の困難を乗り越えながら東西に伝わった。西方への伝播は、その遺跡こそ確認されてはいるものの、仏教伝播の大きな流れは主として東方へと向かうものであった。この仏教文化東漸の流れは、さらに南と東に向かう流れに大別される。まず南方への伝播は海岸沿いに現在の東南アジア地域へと進み、そして東へと進んだ伝播のうねりは、中央アジア・西域へと向かった。さらなる東方の中国へは後漢時代までには到達し、中国古来の宗教と文化に甚大な影響を与えた。今に至るまで中国各地には初期仏教の教義と文化を物語る数々の関連文物と遺跡が残された。その様態は仏教石窟・寺院を中核とし、各種の仏教伝承と各地の仏教聖地・名山として知られる。

三国呉時代の白毫がある「青磁跽坐俑」中国湖南省長沙出土
従来、それらの地理分布を考えると中国の北方地域(華北)が多くを占めるとされてきた。しかし、かつて龍谷大学と中国の研究者とで実施した初期仏教遺迹文物調査によって、中国内外の仏教伝播ルートの道筋は必ずしも北方ルートだけに限定されず、南方諸地域にも存在したことが改めて明らかになった。すなわち中国西南の四川雲南地域に、そしてまた長江流域の諸地域にも初伝時期の仏教文物が数多く確認されたのである。長江の下流域に在る江蘇省や浙江省から多量の初期仏教文物が発見されているほか、中流域にあたる湖北省武漢や湖南省長沙からも関連文物が出土しているのである。これらの仏教初伝南方ルートに関連する文物図像は、その大部分が龍谷大学と中国研究者との共同編集に係る文物図録『仏教初伝南方之路』(文物出版社,1993年)に掲載されているので参照されたい。

三国呉時代の「青磁仏飾魂瓶」中国江蘇省金壇出土
仏教の北伝ルートは、華北から朝鮮半島へと広がり、普及と定着を経ながら、やがて日本に渡来した。その渡来文化の影響は奈良京都の寺院建築と諸仏を見れば自ずと明白である。
龍谷ミュージアム開催の平常展「仏教の思想と文化 インドから日本へ」では、上記の仏教東漸の大きな流れを各地の仏教文物を通して実際に体感していただきたいものである。
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龍谷ミュージアム 平常展「仏教の思想と文化 インドから日本へ」(第1期)
開催期間:7月1日(土)~8月27日(日)10:00~17:00
※入館は16:30まで
※作品保護のため、平常展会期中に展示替えを行います。
※詳細は龍谷ミュージアムHPをご覧ください。
http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/reg.html
龍谷ミュージアム 平常展「仏教の思想と文化 インドから日本へ」では、インドで誕生した仏教が日本に至るまでの歩みを「アジアの仏教」と「日本の仏教」に分けて紹介しています。多様な民族の顔に表現されたほとけたちのすがたや、さまざまな言語に翻訳され異なる文字で記された経典、地域を超えて共有されてきた物語など、貴重な文化財を通して東アジアと京都市の理解が深まり、互いに発展していくことを期待しています。

「熾盛光如来像」元時代 所蔵:京都・誓願寺(展示期間:8/1〜8/27)
Profile
木田 知生
龍谷ミュージアム館長/龍谷大学文学部教授